書くことの意味

キャリア開発ワークショップ・CDW(※)では、「書く」ということを基本にしています
これは、CDWがワークショップとして開発されたときからと伺っています

キャリアに関するワークショップや研修では、ほとんどの場合、書く作業を伴います。しかし、「書いた後でグループをつくって話し合うために書く」ような位置付けになっているというところも少なくありません。たとえ、そのようにカリキュラム設定をしているわけではなくても、その後でグループで話し合うことが前提とされていれば、参加者としてはそれを意識せずにはいられませんから、結果として「話す準備をするために書く」ことになってしまいます。

しかしCDWでは、書くことそのものに意味があると考えています。CDWの中で話し合うセッションは皆無ではありませんが、ごくごく限定的です(企業内実施の場合はその企業におけるニーズもありますから、この限りではありません)。書くことで自分の内面、心の内、頭の中が整理されるからです。
考えているだけ、思っているだけでは、同じプロセスを何度も何度も繰り返したどってしまい、結果的にそれが思い込みのようになり、自分自身に対する呪縛となってしまいかねません。意志を固めてやり抜くと言う段階であればそれは意味のあることかもしれませんが、モヤモヤとした状態、どうしたものかとあれやこれや考えている状態には向いていないのではないでしょうか?
書いているとき…書くことによるカタルシスのようなものもありますし、書いているなかで次の言葉、次のフレーズが出てくることがあります。また、書いた内容は自身で客観的に見ることができます。こうすることで、モヤモヤとしていたものが整理されてきます。
そうか、結局自分はこう考えていたんだ、これが大切だったんだ、こうしたかったんだ、ということがはっきりしてきます

今朝ほど見つけたこの記事「手を動かし、書く瞑想をしよう」。どうも近しいことを仰っているように感じています。
キーボードよりも手書き。この記事では脳波を取り上げています。確かにそういう感じがします(脳波がそうなっているかどうかはわかりませんが)。少なくとも、ディスプレーで見る文字や図は、紙の上に自分の手で書いた文字や図とはやはり異質な感じです。慣れているかどうか、というのもあるかもしれません。
しかしどうでしょうか? 書いてみたことを俯瞰してみる、鳥の目で見るためには、紙に書いたものが机の上に広がっている状態の方が適しているのではないでしょうか? リニアな思考には電子機器は向いているかもしれませんが、パラレルな思考には紙の方が向いているように思います。

そんな思考プロセスを体験できるのもキャリア開発ワークショップ・CDWの特長の一つと言えるでしょう

※キャリア開発ワークショップ・CDWはNPO日本キャリア・カウンセリング研究会が商標を管理しています
※Photo by Angelina Litvin on Unsplash

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